横濱プロバス倶楽部   楽しくなければプロバスではない     
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8.会員放談       内山 昌俊氏(演題:無題)

       昭和36年に横浜銀行に入行し出納係に配属となった。  
2年おきに市の指定金融機関が交代するシステムになっており、2年目に市の指定金融機関となり市のお金が10億円ほど入ってきて預金が増えたら、当時の次長が「成績が良くなりました。」という話しをされた。そこで、これは公金が増えただけですよと、私が支店の職場会議の時に話をしたら上から睨まれて、ずっと、係替えは無かった。
銀行を辞めようと思ったが、親から
3年は辛抱しなさいと言われて思い止まった。その当時仕切っていた支店長は転勤した。
新支店長は私を見ていて「これは可哀そうじゃないか。」と言って、普通預金、為替、その他ありとあらゆる業務を経験させてくれた。その時、私は人の出会いは大切であると痛感させられた。その後、伊勢佐木町支店に転勤になったら、前任店で目の敵にされていた次長がまたいて、出納係に配属された。
当時、横浜銀行は大蔵省からいろいろと指導を受けていた。しばらくすると、次長は転勤し、支店長から「融資をやってくれないか。」と言われ
245歳の時に、融資係に配属となった。

       当時の企業融資は、自分で業況把握まで全部を処理していた。個人融資の住宅ローンでは、不動産屋と結託して売買契約書の偽造なども見受けられた。42歳の時に関係会社に役員待遇で出向した。結果良ければ良しということで、過程については、とやかく言わない。間違ったことは、しては困る。そこだけはチェックしていました。銀行に対しても、関係会社に対しても絶対迷惑はかけていない。監査役の話もあったが、自分で会社を見つけました。地元でも出来るだけ尽くしております。こちらにも、これだけのメンバーがおりますので、是非お付き合いいただきたいなあと思います。
       ありがとうございました。