横濱プロバス倶楽部   楽しくなければプロバスではない      
 
 
2024年 第257回 2月 例会 議事録

257回例会議事録作成 樋口例会委員長
日時 : 2024年2月9日(金)  1200ー1400
場所 YBS南幸ビル9階
岩城、内山、岡部荻原、小野寺、大久保、加藤道、加藤豊、神谷倉嶋康、倉嶋伸小西、斎藤、佐藤、須藤、鈴木国、鈴木功關口、ダニエル前田、丹野、束野、冨永、樋口、平野、保谷、松下、松原、松本、、宮川、水田、持田、途中参加森山、渡辺、  21名   
         (参加者22名 内訳 会員21名、ビジター1名)
    
 12:30 会食後 例会開始  
  司  会   ・加藤幹事   第257回例会を行います。まず会長から挨拶を。  
  会長挨拶   皆さん私のこと覚えていますか。2か月間欠席しておりました。  

 ビジター紹介  紹介者・  佐藤会員  (岩手県千厩高校同級生の林リツ子さんを紹介します。) 

    

 
  林リツ子氏 挨拶   プロバスの標語「楽しくなければ・・・」を拝見して、できればご一緒所さ                せていただきたいと。昨年まで医療関係のほうに従事していました。こ               れから倶楽部で、いろいろ経験を伺って私の人生を豊かにしていきたい。  

誕生月会員紹介  保谷会員委員長  2月の該当者は1名。

    渡辺会員   1941年211日生まれで83歳。211日は建国記念日です。私はこの会に入って喜んでいます。目標は、元気で明るくコミュニケーションをとっていくことです。

 

会務報告  

(1)   理事会協議及び決定事項報告   (前回会長不在のため例会委員長から)

/12(金)開催の移動例会について

*横浜市庁舎見学~甘太郎桜木町店にて例会及び懇親会を予定。

 3月例会時に移動例会の詳細と出席確認を行う。

 (2)  各委員会報告(各委員長から)

     例会委員会・情報委員会 移動例会は楽な行程なのでよろしく。

多摩プロバスニュースを回覧しますので見てください。  

      会員委員会 今70代を会員にしようと頑張っております。

事務局報告  松下事務局長

       横浜グリーンプロバスが創立10周年。 記念誌に会長の挨拶文を依頼されている。また、  祝賀会を4/18(木)ザ・ノット横浜で行う。参加者の名簿を求められている。

後程出欠をとる。

       多摩プロバスの滝川氏が大病をして、自宅でリハビリに取り組んでいる。現在クラブを休会中だが、クラブの20周年には復帰したいとしている。


       五所川原の担当幹事から連絡があり、2月中に参加者名簿を提出の必要がある。

各クラブ単位の申し込みだが、当俱楽部と多摩プロバス5名は一緒を、福島プロバスは1泊のみ一緒を希望。ホテルは各クラブで考える。横濱プロバス+多摩プロバス5名+福島プロバス6名。


       本日の出欠、ダニエル氏、岡部氏は体調不良で欠席。神谷氏はリハ中だが3月は参加したい、森山氏は2次会出席したいといっておりました。

 

       プロバス通信を50部増刷する。(他クラブ分その他)

     
      ⑥       バレンタインチョコが小野寺会員から提供されました。

 

 
 
会員放談  題目「岩手県のことども」   佐藤政男会員   (岩手観光案内図配布)       
      みちのく、奥州の東北5県は全国の県面積の広さ10傑の中に入っている。岩手県と四国を比較すると四国       のほうがやや広いが、岩手県は県の広さナンバーワンである。都道府県全体でも北海道に次いで2位となっ      ている。
      岩手の名前のいわれとして、昔、鬼が争いに負けて泣いて岩に手形を押したからと、メルヘンチックな話が       残っている。

岩手には世界遺産平泉の藤原清衡造営中尊寺には国宝第1号の金色堂があり、橋野鉄鉱山、御所野遺跡と3つの世界遺産がある。

岩手が生んだ偉人などはは、多種多彩で首相は5人、その他に国際人、学者、文学界、スポーツ界に人材を多く排出している。ちなみにスポーツ界は、大谷翔平、菊池雄星、佐々木朗希。

啄木派? 賢治派?

            啄木は明治45年(1912年)没・享年26歳、盛岡に記念館。賢治は昭和8年(1933年)没・享年37歳、花巻に記念館。

       宮沢賢治は明治29年花巻の質屋の長男に生まれ、森岡第一高校、花巻農学校に進学。

      本当の百姓になるため、30歳で農学校の教員をやめる。33歳で厳しい風土の耕作地に必要な石灰工場の技師になり、販売の拡大につとめた。35歳で肺炎に、花巻へ戻る。37歳で死去。後年、農化学者―岩手、日本農業の救世主と言われる。

       賢治の作品は生前2点の発表にとどまっている。「春と修羅」大正134月(1924)、

      当該作品は佐藤惣之助、草野心平など中央文壇で激賞される。

      「注文の多い料理店」大正1312月。

未発表の作品は、高村光太郎の進言で空襲を逃れ、戦後その尽力により世に発表される。




 

 

 参遊会活動報告と予定  持田委員長

      カラオケ同好会・・冨永世話人「例会後、ビッグエコーで、参加をお待ちしております。」

      パソコン同好会・・渡辺世話人「2/27(火)県民センター7F、保留中が多いのですが。」

      ゴルフ同好会・・・持田世話人「3/25(月)太平洋GC」

      ボウリング同好会・持田世話人「理事会後、ハマボール」

 




 例会、理事会終了後 懇親会グループ、ボーリング同好会グループに分かれ楽しみました