会員放談 題目「岩手県のことども」 佐藤政男会員 (岩手観光案内図配布)
みちのく、奥州の東北5県は全国の県面積の広さ10傑の中に入っている。岩手県と四国を比較すると四国 のほうがやや広いが、岩手県は県の広さナンバーワンである。都道府県全体でも北海道に次いで2位となっ ている。
岩手の名前のいわれとして、昔、鬼が争いに負けて泣いて岩に手形を押したからと、メルヘンチックな話が 残っている。
岩手には世界遺産平泉の藤原清衡造営中尊寺には国宝第1号の金色堂があり、橋野鉄鉱山、御所野遺跡と3つの世界遺産がある。
岩手が生んだ偉人などはは、多種多彩で首相は5人、その他に国際人、学者、文学界、スポーツ界に人材を多く排出している。ちなみにスポーツ界は、大谷翔平、菊池雄星、佐々木朗希。
啄木派? 賢治派?
啄木は明治45年(1912年)没・享年26歳、盛岡に記念館。賢治は昭和8年(1933年)没・享年37歳、花巻に記念館。
宮沢賢治は明治29年花巻の質屋の長男に生まれ、森岡第一高校、花巻農学校に進学。
本当の百姓になるため、30歳で農学校の教員をやめる。33歳で厳しい風土の耕作地に必要な石灰工場の技師になり、販売の拡大につとめた。35歳で肺炎に、花巻へ戻る。37歳で死去。後年、農化学者―岩手、日本農業の救世主と言われる。
賢治の作品は生前2点の発表にとどまっている。「春と修羅」大正13年4月(1924)、
当該作品は佐藤惣之助、草野心平など中央文壇で激賞される。
「注文の多い料理店」大正13年12月。
未発表の作品は、高村光太郎の進言で空襲を逃れ、戦後その尽力により世に発表される。
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