8.会員放談 水田 功氏 演題「僕、頑張ってます。」
私は1948年10月1日生まれです。子年です。私のル一ツですけれども、
家業は大工です。練馬の小学校、中学校は家がやったそうです。山王ホテルの
ダンスホ一ルも家がやったそうです。戦前 家に小笠原の憲兵がやってきて、やってくれといって頼みにくるんです。それで、兵舎の牢屋を造りました。
戦争が終わって北支から復員してきて、父は恋愛などをしている暇などないんですね。ちょうどそんな時、佐渡の水田家の三軒隣にその女性はいたんですね。その女性は百姓の娘なのに旧制の女学校を卒業しているんです。そういう話を聞いたら、父は腰のあたりがビビッときたそうです。私が中学生の時に佐渡に旅行にいくんですね。そうすると、母方のおじいちゃんが迎えに来るんです。佐渡は周りが海ですから、楽しかったですね。母の弟がいうには、「おじいちゃんは昔代用教員をやっていた。」と言っていました。佐渡は山形県よりもあったかいです。
そして、私は機械を扱うことになります。東京都民銀行がメイン銀行です。蒲田に当面の新住居を構える訳です。売れなかったです。それで、画像装置を開発し、13年前に横浜に引っ越してきて、現在は社長を辞めておりますが、代表権は残して給料はもらっております。私はまだまだやりたいと思っておりますので、日野原先生の好きな言葉を読みましたけど、皆さんも一読していただければと思っております。私の話は以上です。ご清聴ありがとうございました。
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