横濱プロバス倶楽部 楽しくなければプロバスではない    
戻る 第153回   例  会 2014年9月12日

中村会長挨拶
鶴峰ロータリークラブがスポンサーとなる横浜グリーンプロバスクラブの発会式が9月18日ありますので、当会から何人かご参加いただきます。本日皆さんに寄せ書きしていただいた色紙を持参します

ゲスト挨拶  横浜山手ロータリークラブ会長 近藤眞江氏

訪問は今年度2回目となります。一昨日ロータリーの会合に青木氏がゲストでお出でいただき、全国プロバス大会の話とか元気にユーモ

アを交えてしてくださり、全国大会には私どももお邪魔させていただきます。ロータリーのプランでは、支援している訓盲院のコンサートが12月12日2時から院内講堂で行われます。チケット2,000円ですが、お時間があればご参加おねがいします。また、昨年も何人か参加いただきましたが、12月10日にクリスマス例会が大桟橋のサブゼロでおこなわれます。今年もご案内しますのでいらっしゃってください。それからロータリーへの入会大歓迎ですのでお申し出よろしく。

誕生祝の贈呈 (岡部副会員委員長)

9月誕生月(5名)  大久保武 樋口健太郎 関口尚親  (欠席)加藤義一 川崎清二

                     
   
    紹介する岡部副委員長            大久保武           樋口健太郎          関口尚親

理事会の報告 (關幹事)

1、            今後、懸案の奉仕委員会及び来年の設立15周年の検討委員メンバーの選定をする。

2、            会則改正内容についての幹事説明を了承。メンバーから総会に諮るべきとの意見を受け、来年の総会の場で最終決定する。(暫定的に改正内容で運用する。)

同好会報告 (松下参遊会会長)

7同好会は従来通り継続する。各同好会の世話人は、加入者の確認をして報告願いたい。

1旅行会(来年早々相談したい)、  2カラオケ(大会後は毎月実施)、

3パソコン(9/17)、      4釣り(日帰り温泉を含めて計画)、

5あるこう会(当面休み)、     6ゴルフ(9/25)、

  7にこにこコバンザメ(他同好会の主に打ち上げ等懇親会参加)  以上 各世話人説明

全日本プロバス協議会報告 

森山幹事長

9月5日常任理事会が開催され、横濱プロバス会長の中村實氏が次期会長に決定した。

グループメールについて  登録されている全員に配送できるグループメールについて、岩田副幹事から説明があった。

中村次期会長挨拶

 全日本プロバス協議会は前会長の加藤氏亡き後、森山氏が一生懸命全体のことをどうするか考えて下さっている。11月の横浜大会は青木氏を実行委員長として、全国から大勢のプロバスメンバーがお出でになるのはありがたいことだと思っている。加藤氏の後をついで、私が2年間の全日本の会長をさせていただくのは、横濱のプロバスの皆さんのおかげであると信じています。これからも皆さんのご意見を遠慮なく言っていただくことによって、全日本の発展が出来るのではないかと思います。  その陰に、自分の時間を犠牲にして動いてくださった森山幹事長にお礼を申し上げます。そして、闘病中にもかかわらず、横濱プロバスの名を全国に高めるため大きな力を発揮されている青木実行委員長どうぞよろしくお願いします。

全日本プロバス協議会総会 横浜大会について  青木実行委員長

横浜大会は皆さんのお力で370万都市として心に残る素晴らしい大会としたい。横濱プロバスは大会の主管倶楽部として皆さんに賛助金(寄付金)に協力をお願いしたい。強制ではないが、 一口5,000円 二口お願いできれば。

会員放談  (宮川会員)

 にこにこコバンザメ世話人でメンバーとの交をこよなく楽しむ宮川氏、 しかし、寄らば大樹の陰を任ずるコバンザメと異なり、建設省キャリアを蹴って某団体に就職・・。一中・一高・東大と歩んだ氏の話からプロフィルの一端を

私のプロフィルから 

高校時代に勉強するなら社会の役にたちたくて、その当時インパクトのある二団体の理念・思想について学習した。一方は厳しい思想統制に加えて、経済が人間の幸福を決定するといった考え方については、もっと人間の幸・不幸はいろんな要素があるのではないか等々、疑問から共鳴できなかった。  他方については言葉が乱暴な印象を受けたものの、人間味ある思想に深みを感じ、疑問多き高校生だったが先輩方の指導により徐々に理解も深まり傾倒していった。

二十歳の時、経営者として著名なリコーのI社長にインタビューしたが、功成り名を遂げた人物でも、心の中を北風が吹き抜けているような話を聞いて、団体で言われている「金と名誉を得ることが必ずしも幸せではない」ということを実感した。羅針盤のない船はどこまで行っても幸福に行きつけないという結論は、私の人生に影響を与えた。

こうしたことが就職にあたって、団体を本命に上級職を滑り止めにした内面的理由である。

団体では、訪ソ随行の機会があり、社会主義の世界はいかに停滞し、行き詰ってしまうかを目にすることが出来た。時のコスイギン首相と握手したのも貴重な思い出である。

また、私の最も尊敬する人物であり、人生の師匠である会長との出会いがあった。先生には叱って育てて頂いた。最後に、詩人でもある会長が作詞した「母」を、この歌の得意な平山氏が歌います。

(朗々と素晴らしい歌声が響いた。カラオケ同好会の有力メンバーである宮川氏にも、いつもの武田節を歌うように美声を聞かせて欲しかったが・・・)