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つれづれに思うこと」      2018.7.13

音声で聞けます
 
      

今日はプロバス例会ご担当の萩原さんから、私の「放談」の順番がきたので「わが半生の記」といった内容で話せとのことですので、「つれづれに思うこと」と題して、少しお時間を頂きます。 

本年の元旦に、私はここにいらっしゃる中村全日本プロバス会長から年賀状を頂きました。

そこには「日本の島」についての記述がありました。「海岸線がないのに島がある、海があるのに島はない。」そして「県別島の有無」として各県の代表的な島名一覧がでておりました。

私は元旦にこのような内容の年賀状を頂いたのは初めてです。

何か謎かけみたいで、その意味するところを理解するのに時間がかかりました。その後、私は会長に「海岸線がないのに島がある、海があるのに島がない。」ってどういう意味ですか?と真面目に質問しました。「湖にも島がありますよね?」「それは湖岸線です。」等々3回も質問しましたが、未だによく分かりません。 

そのうち、このような年賀状を会長は一体どのような意図で私どもに出されたのか、と思うようになりました。しばらくして私は「元旦ぐらいはこの世の俗を離れて、人生の生き方を考えてみたら」という暗示かもしれないなと、思うようになりました。

そんなある日、私はタクシーに乗りました。

その運転手さんは音楽のイントロ(曲の最初の部分、歌詞がない部分)でお客一人一人の特徴をつかんでいました。

お客から携帯に電話が入るたびに、曲のイントロが流れます。そうすると運転手さんはそれだけで電話の相手が誰だか判るという寸法です。

たとえば、商社マンは「必殺仕事人」、仕事がつらいとこぼす人は「男はつらいよ」、ジョギング好きには「ランナウエィ」、酒好きは「ウイスキーがお好きでしょ」、造園業は「竹とんぼ」という具合です。そんな話を聞いているうちにタクシーが我が家の玄関に着きました。

私は「よろしければ私にも一曲つけてくれませんか」と云って、自分の携帯番号を差し出しました。

私はせいぜい松山千春かなと思いましたが、その運転手さんの答えは、「ゴットファーザー」でした。ゴットファーといえば、マフィアのボスです。「この世の俗の中の俗」です。

それからというものは、私は「これでは、中村会長の崇高な境地に至るのはまだまだほど遠いな。」と深く反省しました。

今の私の心境は、中村会長の謦咳に接することができるだけで、このプロバスに入って、本当に良かったと思っております。

 さて、ここから「わが半生の記」に移りますが、日経の「私の履歴書」のように、社会的に功成り名を遂げた人がその自叙伝を話すのであれば、その価値もあるのですが、私はまだ年端も行かず、そのような資格も経歴もありません。あまり気乗りはしませんが、ご下命でもあり、プロバスの会員が全員順番に話すようになっているようですので、我が人生の一端を語ります。

 私は昭和21年11月生まれで、アメリカのトランプ大統領と同じ71才です。あちらは6月生まれですが、あんなにアクは強くありません。髪の毛もありません。

 小学生の頃から成績は普通で、余り勉強はしませんでした。ですから高校も県下では最低の偏差値の学校に入りました。私には勉強ができる人はまるで天使のように見えました。

その当時、ここにいらっしゃるMさんみたいに日比谷高校から東大などという絵に描いたようなエリートコースの人と仮にお会いすれば、私は恐らくその場で卒倒していたかもしれないと思います。

将来の自分の人生に何の希望もなく、青白い顔をした全く生命力のない若者でした。

そこから、私は、素晴らしい信仰と、人生の師匠に巡り会うという大きな転機が訪れ、早稲田と慶応の法学部に合格し、新たな希望あふれる人生の出発になるのです。もうこれ以上は信仰体験になりますので、今日のところは割愛いたします。

 

早稲田を卒業し、大学院を目指しましたが、それを断念し、聖教新聞社に入りました。

在職中は仕事が忙しく大変なこともありましたが、今振り返れば楽しく、本当に充実しておりました。中でも最高の思い出は池田名誉会長との出会いでした。

 2,3ご紹介しますと、世界の大学から名誉会長が授与された名誉博士号、名誉教授の称号は現在381です。     更に、世界の国家元首、学者、文化人が多い時には年間で200人以上が本社を訪ねて来られました。これまでに累計で2000人を超えています。

 私にとって、特に印象に残っているのが、「人権の巌窟王」とよばれたネルソン・マンデラ氏です。

玄関ホールで名誉会長がお出迎えの際に、私も直接お目にかからせて頂きましたが、2meterを超す長身で、その精悍なお顔と、爽やかで柔和なスマイルは今でも忘れられません。

弁護士でありながら、27年半、約1万日もアパルトヘイト(人種隔離政策)に反対し、この世の地獄といわれた監獄に閉じ込められていた方です。

出獄と同時に(未だ南アフリカの大統領になる前ですが)、真っ先に名誉会長を訪ねて来られたのです。その後、大統領に就任した後にも再び名誉会長のもとを訪れております。

ちなみに、「人権の母」と呼ばれたアメリカのローザ・パークス女子も2度、名誉会長を訪ね会談されております。

  その他、名誉会長が会談した方は、歴史家のトインビー、ローマクラブのペッチェイ、周恩来元首相、ゴルバチョフ元大統領、キッシンジャー、インドネシアのワヒド大統領、ラジブ・ガンジー、等々数え上げれば枚挙に暇がありません。 

又、私が、聖教新聞社に勤務していた時に、名誉会長は、次のような指導をして下さいました。

一番大事なのは、「心」だよ。人間誰だって、年をとれば、皆、髪は薄くなり、白くなり、人によっては、無くなることもある。最後に残るのは、「心」だ。だから、「心こそ大切なれ」と言うんだ。              御書に「心はたくみなる画師の如し」とある通り、心一つで、名画のような人生を創り上げていくことが出 来るのです。
「大変な時」或いは、「難しい状況」は、自分自身の新たな境涯を開く為の飛躍台であり、まさに「困難こそ発展の源」です。

…私にとっては、特に心に染み入る指導でした。これが私のその後の大事な人生の指針になりました

お話しは尽きませんが、今日のところはここまでにして、「私のつれづれに思うこと」にかえさせて頂きます。       以上