横濱プロバス倶楽部   楽しくなければプロバスではない     
戻る 特別寄稿 「ふるさとの山河なつかし 鎮魂の八月」  
               小野寺あい子会員              平成29826
      音声で聞く 1

 庄内平野の稲田は、風が吹くたびにビロードのような光沢で波打っていました。

このうねりが、収穫時に黄金の稲穂に生育して大豊作へと繋がっていくのであります。その向こうには、ローカル線の二両編成がのどかに走り、鳥海山の雄姿を仰ぎ最上川がまんまんと豊かな水量で流れていました。森も畠も丘陵も、どこまでへもなつかしい風景が広がっていました。都会の喧騒を離れて今、此処へ立ち、静かに帳を下す一刻を、私は息をひそめてじいっと見つめていました。

 山形県庄内地方の生家へ、祖先の墓参に赴きました。何よりも先ずは手を清め、神仏を崇め奉る風土なので、身繕いして仏間に入りました。天女の舞を彫刻した仏壇に目を見張り、座敷にはお盆の棚が仕つらえられて、何代も続いた家系図を中央に、茄子やきゅうりの牛馬が脇を固め、蓮の大葉に三種の餅が供えられ、土蔵からこの行事の為だけに作用される鉄の大花瓶に仏花が溢れんばかりでありました。周りにお供え物が山と積まれ、豪華絢欄に飾られたのは、私の父の五十回忌と母の三十七回忌の法要を、皆が集まり易い盆に行う為であると耳打ちされました。読経がゆらめく線香にのって、黄泉の地底から聞こえる錯覚に陥り、私は俗世から入れ替わる瞬間を思いました。両親や早世した弟を弔い瞑目していると、生と死の別れ目は一体どこが境界線になるのだろう、人はいまわのとき、何を思うのか、うつし世の生ある身を離れて、本当はどこへ行ってしまうのか、西方浄土、涅槃絵、地獄絵図など仏の図画が頭の中でグルグル回り、しかし、これらは単なる想像図ではないのか、くりかえし考えに耽り、到達するのが普遍なる問題であることに行き着くのでありました。

 翌日、母屋から裏側へ行って見ると、雑木林は当時うっそうと昼なお暗い神聖な冷気満つる場所でしたが、もう大部分が伐採されて、木漏れ日が縦横に差し込んでいました。奥に祠が祀ってあるので、子どもの頃祖母やおみねが供え膳を運ぶのに手伝いをしたものでありました。或る朝、祠へ行く道を通せんぼするように白い蛇がかま首をもたげているのに遭遇し、祠に住んでいると聞かされていたので、蛇が出迎えていると朝から縁起が良いのうと祖母が上機嫌だったことが思い出されます。

四季折々の行事を守り、伝承していこうと懸命であり、今流に云えばボランティア活動を、婦人会の襷を掛けて村民の為に率先垂範した祖母でありました。

〔 いちじくやくるみの大木もおい繁っていて、蔵の屋根にがらがら音を立てて落下するので、跳ね返りのくるみが頭や顔に当ったり、バケツに集めるのが子どもたちの手伝いでありました。

 森林セラピーには、うってつけの場所で大樹に身を寄せていると、セミはひと夏の生命を知っているので、蝉しぐれの大合唱をして人々の耳朶に残すそうなのです。

 かつては、宿題のかぶと虫の観察も此処で出来たし、今もって名も知らぬ野鳥や小動物の生態を知れば知る程万物の霊長に目が潤んでいきました。

 

  音声で聞く2

時は流れ、雑木林にハンモックが揺れ、傍らにアイアンのテーブルチェアーが並べられ、目を移すとバーベキュー用の炉まで切ってあるのです。当主の洒落た日常を垣間見る思いでございました。

 この場所から、私の心の風景とも云える貨物列車や客車が、当時はもくもくと煙を上げて走る勇壮な状景を眺めることが出来ました。

 秋田方面から庄内平野を縦断して余目鉄橋に差しかかるとき、ボーッボーッと汽笛を鳴らして渡る轟音は、実に迫力がありもの悲しい響きとして脳裏に残されているのであります。どんな人達を乗せてどこに向かっているのだろうか、果てしなく限りなく人生について探求心が湧いたものでありました。

 沈みゆく夕日に染められて、まるで影絵のように煙を上げる列車は、今は語り草となり電化された車輛に抒情のよすがなく、時代の変遷を痛感させられるばかりでございます。

 開発の波は容赦なく押し寄せ、都会なみの小さい洒落た一戸建が田んぼの一角を占め、生活の在りようも生き方も変化していっているのでございますね。

 語尾を長く引いて上品に話す方言も、年配者でない限り聞かれなくなりました。あの山のてっぺんには、健康ランドやファッションセンターが進出し、ブルーラインを疾駆して他県からも人々が集結し賑わいを見せているそうなのです。変貌していくあまたの中で、今に変わらぬは風の語らいでありましょう。

 生家に着いて冠木門を潜ると、欅の大木が天に向かってごうごうと渦巻き乱舞するさまは、この土地独特の風の出迎えと思い、さながら圧巻の一幕と云えるのであります。

 風のたちはいくつにも分類され、色彩と音符をつけて吹き渡っていくのです。又、風が運ぶ芳香には、花や果樹のみならず自然界のエッセンスを混合しながら、肥沃な庄内の土壌と相まって妙なる調べを醸し出し、従って庄内地方の風は、無色ではないと言われるゆえんでございます。

 三日目は権現神社で夏祭りがありました。五穀豊穣を祈願して、盛大に執り行われる伝統ある神事でございます。笛や太鼓のお囃子を何年ぶりかで目にしたことでありましょう。

かぐら舞いも舞楽、古典舞いも郷土色豊かに、古色蒼然とくり広げられていました。

 過ぎし日々、なつかしきあの日々、両親、祖父母、叔父叔母が、皆揃って元気な頃でありました。あの笑顔、あのさんざめきが目の前をよぎります。かつて祭りの朝は、誰もがよそいきの格好をさせられ、髪にリボンや花飾りをつけてもらい、得意満面に近所の子どもたち、兄弟たちと祭りの行列に並んでいました。少しさみしく少し切なく、出店の廻り灯籠に哀歓を覚えた幼少期の姿が彷彿として蘇ります。

 久しぶりに神社参拝を終えて帰ると、親戚縁者が待っていてくれました。食材はみな海の幸山の幸、畑の恵み母や祖母の味が、ちゃんと受け継がれ並べられていたのであります。

素朴でありながら深い味わいを噛みしめて腹ふくるるまでご馳走になりました。

これでお酒を呑めたらどんなに愉快だろうか。と下戸の私は雰囲気にすっかり酔いを感じ満ち足りた気分でございました。人情の厚い身内の歓待に、夜が更けるまで懐古談に花が咲き、見回すと大黒柱やなげしに、そこはかとなく祖先の霊がたゆとうている気配が静寂の中にそれは不思議な現象でありました。

 
   音声で聞く3

最終日、藤沢周平記念館と加茂水族館へ出向き、おびただしい数のクラゲに対面しました。脳も心臓も持っていないと云うクラゲが青い照明に浮かびあがり、ゆらゆらと幻想的なリズムが、まるで太古の海に浮遊しているようでありまし 帰省の目的のもう一つに、実は高校生の頃、私たちは庄内おばこ三人娘に選出されたことがありました。かすりのモンペにハンタコタンナをつけ、演技指導までされて、刈り入れの田んぼに立たされ、婦人誌の撮影部隊が、豊作をよろこぶ庄内おばことして紹介された忘れえぬ想い出がございます。千代さんはすでに世を去り、のり子さんは日本海病院に入院加療中とのことで、再会の願いは叶わず残念至極でございました。純粋無垢な三者三様の人生航路は、流さるる石の如く、その何年か後に、私にも過酷な試練が待ち受けていたとは知る由もなく、運命とは何と非情でありましょうか。

 そして、鮮明に私の目に焼き付いている八月十五日の玉音放送に、隣組の大人たちが集まって来て、いっせいに畳に突っ伏して慟哭された姿でありました。

 毎年この日は母の里へつれられて行っていましたので中止になった悲しさで泣きじゃくる子どもたちを、祖母はかわるがわる抱きしめてなだめてくれるのでありました。

 祖母は実に愛情深い人で、路傍の石仏や道祖神、山の神、田の神、水神様に手を合わせ、ご先祖様のお陰と云って感謝する心をどの子にも諭し教えたのでありました。

 死に逝くとき、子どもたちのおやつの用意をしなければと言い残し、母に頼んだよ!と別れを告げたと折に触れて聞かされたのでございます。やさしかった祖母へは何十年たっても忘れず追慕し、それらの心情は私にも教訓として残され、ゆかりある人々へ、そして孫やひ孫へ接するとき、心がけている決意でございます。

 こうして一週間程を、緑いや濃きふるさとで過ごし、私は横浜に戻ると、みずみずしい感性に一段と磨きがかかったように思いました。

慈愛深き者たちよ!

心あつき者たちよ!

 充実した滞在をありがとう、我が人生をふりかえり、お盆故に亡き人たちに、もう一度まみえることが出来ればと墓前にぬかずき何度呼びかけたことでしょう。

 綴りながら、過去と現実が交錯し合い涙がにじみました。

 さて、横浜のプロバスの皆々様、旧盆をいかがお過ごしになられましたか。それぞれのふるさとへ思いを馳せ、ご先祖供養をなさいましたり、ご家族との交流を大切にし、或いはご旅行など楽しまれたことでございましょう。

 私は今回の帰省によって、同窓生より、あの人もこの人もこの世に居ないことを知らされ、あまねく誰の上にも、やがて永遠の別れが訪れることを察知し覚悟を決めているので、盆に我が身を見つめ直すことは意義深いと更に反芻いたしました。

 プロバスの皆様を思い浮かべると、私にもいつ異変が起きなくもないと考えてじっとしていられなくなりました。死すれば話すことも伝えたいことも感謝の気持ちも届けられず、プロバスに在籍させて頂いた密度の濃さに、何らかの形で私の意思を表すべきと考えました。特にお誘いを受けました岩城孝子様に心よりお礼申し上げ身辺雑感の記を綴りました。そして、郷土の焼菓子、酒田むすめを皆様にご用意させていただきましたのでどうぞお召し上がり下さいませ。

 プロバスの定例会、移動例会は、私にとっていつしか心の拠り所となり、高い目標を掲げるので、老いゆく頭脳が再度活気を呈するように元気を取り戻している日々でございます。至らぬ点も多くございますが、ご指導ご教示をたまわりますようお願い申し上げて結びと致します。 
     ごきげんよう。